記憶術の一種で、周囲の物や視覚的な情報に記憶を関連づけて効率よく覚えよう、みたいなメソッドがある。
これは結構いい方法だと思っていて、私の実家の玄関にあるヒグマの置物には二次方程式の解の公式の記憶が頑固にこびりついている。
二次方程式を解きたい時は実家のヒグマを思い出すだけでOKだ。
皆さんにも特定のモノを見たときに思い出が想起された経験がきっとあるはずだ。
だからこそ人間は記憶、もっと拡大解釈すると意識をモノに投影しがちで、しかも投影したものが、こびりついてなかなか剥がれないんじゃないかとも思っている。
負のメッセージを送り続けるモノ
例えばスポーツの大会で優勝した時のメダルや難関大学の卒業証書などはその当事者が見たときにポジティブな気持ちになるだろう。
そのメダルと、苦労して成し遂げた、という記憶がセットになっているからだ。
それでは逆にひどい別れ方をした恋人との思い出の品々はどうだろうか。
こういうのは楽しかった時期のポジティブな記憶も想起させるかもしれないが、別れたときのネガティブな感情も一緒くたにセットになっている事が多いと思う。
ネガティブなモノを見たときに人が起こす反応といえば、怒りや悲しみ、絶望、恥、執着、劣等感などメンタルへのダメージ不可避なもののオンパレードだ
だからそういうメッセージを送り込んでくるモノはなるべく早いうちに対処する事がメンタル防衛という観点では重要な行動と言える。
今は簡単にモノを処分できる時代だ。
所有権などの問題で安易に手放せないものや、どうしても処分出来ない場合は厳重に梱包した上で、押入れの奥底に封印しておけばいいと思う。
そしてネガティブな記憶がこびりついたモノを対処したとき、想像以上にその記憶が自分から消え去っている実感を感じている。
もちろんこういったメッセージを放つ品々を定期的に直視して過去の過ちを振り返ったり、自己憐憫に浸るという事も大切な時間だと思うし、文化的で美しい光景だが、私個人の話でいうと自分のメンタル防衛の重要度が高いという側面から、そういったモノは早めに対処するようにしている。
持たない人になれ、という事ではない
このような話をすると、ミニマリスト的な生き方を勧めているように感じるかもしれないが、そうではなく、心身にとって快くないモノ持っていてもあまりメリットがないのではないか、という話だ。
だから最初の方で話したメダルや卒業証書はとっておいた方がいいだろう(負のイメージがなければ)。
人によってはそういった過去の栄光的なモノも処分した方が良いという意見もあるが、ポジティブなイメージを想起させるモノをわざわざ捨てる理由は特に無いと思っている。
それでは以上だ、また会おう👋